拝啓、息子よ。

田舎から東京で働く中三男と三男坊へ送る手紙。

「日章院殿海澄耕山直観大居士」にっしょういんでん、かいちょうこうざんちょっかん、だいこじ。

無事義父17回忌を済ませる事が出来ました。甲斐一族の団結力を確認致しました。ことのほか施主様は長女延予に久々の男子孫が出生し御満悦至極(笑)顧みれば16年前、君が突然の転校した年、平成12年11月2日でしたね。東京で生まれ小学三年生、リトルジャイアンツの仲間や父兄が入り切れないほど、新小岩の居酒屋で君を送り出して呉れましたね(笑)覚えているかなあー。(君の運命の第一序章)それから十年、俺の父親介護と言う延岡生活。新小岩チームでは、四年からは投手と期待されてたのに<監督の約束付き>、延岡でも高校卒業するまで<捕手オンリー>捕手というポジション"12年間"は、現在の仕事の原点になってるのでは無いだろうか。(人生塞翁が馬)nineは八人敵を見ながら戦っている訳だが、君一人仲間八人と向き合い、敵のベンチの監督サインを見、自軍のベンチの志気を感じ、監督の目線から期待を同時にキャッチし、一球の間に瞬間に八人に指示を出し

てた訳だから、市ヶ谷店、上野店、溝ノ口店と順調に鍛え上げて戴き又、縁あっての上野店帰り。二年半目で(金土で売上二百万達成)メデタイナア。直行祖父へのご供養何よりと感謝致します。戒名をお唱えし、<南の方を向き、合唱礼拝"南無阿弥陀仏"と心を込めて願います>甲斐本家八代目(中興の祖)と敬愛されています。菩提寺住職先代が葬式直後に戒名由来を教えて戴きました。その中に、当寺にて(16代が当代)戒名に(院殿)つけた人は三人目だとの有り難いお言葉でした。勿論、天台宗本山の認可を受けなけりゃ勝手に名乗る事は不可能です。成金が大金を積み一代限りの、最高の戒名を要求しても無理な世界となってるそうです(笑)何十年に亘り、お寺に対し(檀家として多大なる貢献した信者に名誉の為に贈る最高の称号)であります。今度帰郷出来た時、時間を見つけて(墓参りとお寺参り)を致しましょう。祖父はいつも君の事を<孫の最後に産まれ苦労させた

>と不憫がってました。(君の生誕前に俺が会社を潰し、君は二部屋に住むアパート暮らしが人生のスタートライン)だったからでしょう。常に先祖を供養し、<子孫の繁栄を願っていた偉大なる祖)でした。俺にとっては(義父であり"命の恩人")でも在ります。つまり、助けて戴いていなかったら、君は(産まれていなかった)俺の懺悔を君に伝えておきます。君が(二百万売上達成)を聞き、感激と感謝の証として、17回忌に告白致します。(君はベクトルとなり、全員野球をした結果であることは言うまでもなく、もし本社幹部からお誉めの言葉戴いたら(いつもの如く"スタッフのお陰様です。感謝しています)との会話が聞こえてきそうだね(笑)更なる発展と健康を祈ります。平成28年10月23日